マイルスはフリー
ジャズには行かなかったけれども、フリー
ジャズのスピリチュアルは誰よりも持っていた。それがモード
ジャズという枠の中で見事に開花したのがこの作品である。フリー
ジャズはその時その時のプレイヤーの内面を表現する事を第一に考えられ、既成の音楽概念には拘束されずに吐露されるバイオリズムと言ってもいい。オーネットコールマンが言うには、誰かがソロを演奏し出したら、全員がそれを追いかけてバックアップする。又誰かがリードし出したらそれを全員がバックアップして行く。どこに辿り着くかは誰にも分からない冒険の旅へと旅立つのです。演奏家の自己満足と言われてもしようがないが、その瞬間を金を払って見に来る客がいれば、それはプロとして成り立つ。
マイルスの場合もこれに近い事をやっているが、同じモードを共有し、マイルスという演奏してもしなくても常に中心となるシンボルを共有していることが他の
ジャズメンとは違う事だ。それも、この黄金のクィンテッドの演奏力があっての事である。このあたりからエレクトリックの時代にかけて、マイルスは答えの無い方法論ばかりを提示して行く。音楽を聴いて答えを見いだす事すら厚かましい事であるが、人は理解する為に何らかしらの答えを要求する。ポップスの場合は明快なものがあるが、
ジャズは分かりにくい部分もある。しかし、ハードバップまでは分かり易かった。でもモードやフリーの時代には、答えも一つではなくなってきているのだ。その為難解だとされるが、答えは人それぞれであっていいと思うし、答えを急ぐ必要も無い。此の心構えが出来ていれば、此のアルバムほど美しいアルバムはあるまい。それだけの内容を持った名盤であります。
1. Prince of Darkness
2. Pee Wee
3. Masqualero
4. Sorcerer
5. Limbo
6. Vonetta
7. Nothing Like You
ウェインショーターによる曲が4曲もあり、マイルスはとうとう曲を提供しないというところまできている。演奏そのものが、即興的な作曲なのである。Nothing Like Youだけ1962年に録音された歌もので、なぜこのような曲を入れているのかが謎とされておりますが、マイルスとテオマセオのみぞ知るであります。ジャケットは当時のマイルスの彼女女優のシシリー・タイソンであります。
Nothing Like Youは古い曲ではありますが、私は此のアルバムのカラーに合っていると思います。モード感覚も既にあるし、非常に面白いエンディングだと思います。賛否両論あれど、此のアルバムの価値は下がる事はありません。モードジャズが目指していたものは、本来このような抽象的な境地に至る事だったのかもしれません。