人は自分自身の為に一生懸命頑張って、人よりも優れていたいと欲するものである。
家族では喧嘩もするが、よその家と張り合うときは一致団結するものである。
学校でも嫌いなやつがいるかもしれないが、他の学校と試合があれば、一致団結して応援するものである。
県の代表が甲子園にいけば、県民として応援するものである。
国の代表がオリンピックにいけば、愛国心がない奴でも応援するものである。
それが戦争ならどうなるか。どこかに閉まってあった国民意識が他国の人間を殺傷出来るのである。
それでは、地球外から攻撃されたらどうなるか。地球人として団結するのである。
こう考えると、最後には宇宙全体での団結心が芽生えるのである。
しかし、現在、地球外からの攻撃はない。その為、地球内での利害関係での争いがどこかでおきている。
歴史上、一度も地球全体でまとまった事がない未熟な主義主張は、一部の人しか救えない。
そこで私は考えるのである。世界国家が生まれる可能性がいくつかあった。アレキサンダーやナポレオンは範囲が狭かったが、ジンギスカンが後100年生きていたなら、世界は一つにまとまっていたに違いないと。
ジンギスカンの侵略は封建的な社会に基づいていましたが、各地の風俗や宗教などには寛容でした。奴隷の習性もあったようですが、アフリカを侵略していたなら、黒人を奴隷にはしていなかったのではないか。アメリカを発見はしても、黒人を連れて行かなかったであろうと。そうすると、ジャズやロックは生まれなかったかもしれないという結果になりますが、おなじような文化は生まれていたかもしれません。
封建社会でも、一度世界国家としてのシステムを覚えてしまえば、その後、民主主義体勢となった時、現在のような自国のみの安泰を望むような幼稚な社会は作らないはずです。全体で豊かになった方が、結果として得である事が理解できているからです。それが分からない現在の幼稚な指導者のもとでは、平和とは絵空事でしかないのです。
そんな思いから、ジンギスカンを惜しみ、侵略された都サマルカンドを名乗っている私であります。歌詞のない私の音楽には、そんな内容の歌詞が隠されております。言葉にしない方が重みがあると思っておりますが、こうして説明しないと伝わらない部分もありますので、ブログが助けとなる訳です。なんと便利なシステムでしょう。
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