ローマに実在した暴君と呼ばれた皇帝カリギュラの半生を描いた
映画です。性的描写が多いのでポルノ
映画として扱われがちな作品ですが、内容は芸術的な立派な作品となっております。ペントハウス社総帥ボブ・グッチョーネが金をかけている作品だけに単なるエロ
映画ではありません。よく芸術作品では性描写があると品位を疑われがちですが、私は人間の本質的な業や性を描く為なら露骨な表現もありだと思っております。それが映倫に引っ掛かるかどうかが問題ですが、この作品は個人の資産によって製作されており、上映会場も限定して誰からも文句を言われないような方法で製作されておりますので、かなり自由な
映画となっております。
ゴダールなどのヌーヴェルヴァーグ監督も自由にビートニクス的な作品を使っておりましたが、映倫を全く気にせず創れる自由というのは金がないと出来ない事でありましょう。その分AVのような描写も多いのですが、逆に私はAVや裏ビデオ作品がもっと芸術的でないようが充実した作品を創ったら面白いのにと思っておりました。映倫には引っ掛かりませんので直接的な表現が出来るのです。直接的な性描写があるという事は、それだけ物語の間接的な表現に意識を向けられる訳であります。
カリギュラは暴君とされておりますが、それはキリスト教が広まった時代の人間からの判断のようで、当時は良い行いもしていたようです。しかし、妹との近親相姦などやりたい放題だった事は事実のようです。そもそもどんな人間にも限りない欲望というのはあるものです。しかし、やっていいことと、やってはいけない事を制する事を覚えて成長していきます。誰からも戒められない立場の権力を持ってしまったら、その欲望は現実に実行されてしまうのです。これは古今東西どの国の権力者も実行しております。しかも当時のローマはフリーセックスが当たり前の時代です。ですから一概に暴君と呼ぶのはどうでしょうか。キリスト教広まってやっと一夫一婦制が定着してくるのです。日本でもフリーセックスが当たり前でした。そもそも人間が猿から進化しているのであれば、ボスザルが女を独り占めするような社会が当たり前でしょう。しかし、考えたり、感情を言葉で表せる人間には違う方法を模索していく事になっていく訳です。ですのでカリギュラはイメージだけで暴君扱いされているふしがあります。
主演は時計仕掛けのオレンジのマルコム・マクダウェル、美術がフェリーニのカサノバのダニロドナティなので、私が好きな変態的美術センス満載です。登場人物の誰が正しくて間違っているというものは存在しません。ただ人間としての欲望を持った者達ばかりで、それをストレートに出している者、隠している者がいるだけです。そういう意味ではヨーロッパの芸術作品としての風格はあります。ノーカット、ヘアー解禁で局部にはモザイクがされておりますが、形がはっきり見て取れますので外国版と遜色が無いように感じます。このボックスセットは新カリギュラもついておりますが、それは別途紹介していきます。
Teaser & Trailer
Wall of Death
Caligula God
McDowell, Savoy, Tinto Brass
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